雪が降ってる。寒いね。
なかなか忙しくて何から手を着けたらいいのかよくわからなくなる。
最近ChatGPTにお悩み相談をしているけど、なんだか空々しい答えばかり帰ってくる。
僕は何を求めているんだろう。
寂しいんだろう。いや寂しさなのだろうか。不安なのだろうか。
不安と自己否定が急に襲ってきて、頭の中がいっぱいになる。
人に期待するなんて、昔は馬鹿らしいと思って諦めがついたのに、今はもう期待を裏切られるのが耐えられない。
とてもつらい気持ちでいっぱいになる。
寒いからだろうか。とても負の、ネガティブな感情にすぐ支配されてしまう。
自分は何てちっぽけな人間なんだろう。
どうしても耐えられないなら全て投げ出して逃げ出せばいい。でもそれもできないんだ。
こんな寒空の中、雪の中こんなことばっかり考えている。いつまでも。
眠たい
私はついつい時間が有限であることを忘れていろんなことに手を出し、いろいろと破綻していく性癖というか習性みたいなものがある。
昔からずっとそうで、何とか直そうと思っていたが、もうそろそろ直すのはあきらめて自分の特性としてやっていくしかないのだろうか。
やらなければならないことを置き去りにして、生活している。
昨日も飲みすぎてしんどい。
眠たい。
変奏曲について考えていたこと
変奏曲が1楽章に使われている曲はベートーヴェンより後の作曲家ではめっきり少なくなっているように思った。
ハイドンはエルディーティ6番、モーツァルトはピアノソナタ「トルコ行進曲」などがあるように思う。
簡単に調べてみると確かにベートーヴェンより後の作曲家では大きな曲の中ではほとんどなさそうだ。
RVWの8番というなかなか面白い曲があるが、これも古典回帰を意識したものだろうか(妄想)
変奏曲形式の歴史について調べてみると野平一郎の面白い記事が出てきた。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンまで言及しているがとても勉強になる。
(本件とは関係ないが、Pソナタ30番とゴルドベルクとの共通点について言及しているのは最近感じていたのでとても面白い)
https://www.jpta.jp/report/93/04.pdf
結局適当にしか調べていないので実態は違うの可能性もあるが、ベートーヴェン以降は変奏曲を1楽章に据えるのはバランスとして難しいと判断されたのかもしれない。
↑のウィキペディアに書いてあるようにフィナーレに持ってくるパターンは比較的多いように思う。ベートーヴェンの英雄やブラームス4番などパッサカリアとして印象的に使われるパターンまである。
いろいろと時間が足りない
何をするにも時間が足りていない。
どんどん積み重なっていく仕事。。。
研究も進まない。。
ストレスのあまり週末ついつい飲みに行ってしまう心の弱さも原因。
次の日の半分ぐらいはつぶれてる。
もっと時間が欲しい。。。
何か根本的な解決になるようなことはないだろうか。。。
マーラー6番
マーラーの6番を最近やっとまともに聞けるようになった。
子供のころ実家に唯一あったマーラーのCDがインバルの悲劇的だった。
マーラーの中では最も初めに聞いた曲(たしか小学生のころ)ではあるのだが、当時はインバルの演奏があまりにも聞くのがしんどくて大学生に巨人を演奏するまでマーラーを敬遠するきっかけとなった曲でもある。
そのせいもあってマーラーを聞き始めてからもう10年以上もたつが6番だけはなかなかなじめなかった。
今聞いても内容はヘビーで、それなりに体力がないと聞きとおせない。
何がヘビーなのかと考えてみると
- 長い割に古典的構成(繰り返しが多い)
- 音が多い(1、4楽章は弦楽器が細かい音をずっと刻んでる)
- メジャー→マイナーのモットーが悲しい気分になる(さらにくどい)
マーラーはもともとストーリー性が強いため、他の曲との関連・マーラー自身の当時の状況などを知っていないと理解しづらい曲が多いが、この曲はその極致ではないだろうかと思う。
曲の構成は非常に複雑で4楽章を取っている割に内容は山盛りでその上ソナタ形式を取ろうとしているので、すんなり耳に入ってこない部分も多い。
個人的には7番の方がよっぽど聞きやすいのは、最終楽章にはっちゃけるからなのだろうか。最後にもってきて何とか聞けるぐらいの曲のように思う。
ところで最近の演奏はスケルツォ→アダージョとアダージョ→スケルツォとどっちが多いのだろうか。
個人的にはスケルツォ先の方が面白く聞けるかな。。。
あとこれ演奏するの絶対無理。。。
ブログ始めてみます(テスト投稿)
ブログを開設してみます。
表現力の向上を目的に文章で表現できる場所を誰でも見えるところに作りたくなったからです。
今の所、書きたいテーマは定まっていませんが、日々の思うところを記していこうと思います。